2020年11月09日

ジェンナーは人体実験で免疫を証明した—第二章 コロナウイルス、感染と発症の嘘

 免疫という学問は、偶然から始まりました。ジェンナーが発見した種痘です。たまたま牛の天然痘を人に接種したら、人の天然痘に感染しなくなったのです。WHOの努力で人の天然痘は撲滅されましたが、しかしその理由はわかりません。免疫の仕組みはわかっていることが多くなりましたが、それでもわかっていないことが多いことを肝に銘じるべきでしょう。


 ウイルス感染症は大昔からありましたが、現在でも感染の仕組みはほとんどわかっていません。21世紀に入ってから、分子レベルでの生体の解析技術が進みました。おかげでウイルス感染について、少しは見えてくるようになりました。それでも、
 
ウイルスは生物ですか
 
といわれても、生物学者は明確なエビデンスを提示できません。ウイルスに対する知見はその程度なのです。
 
 免疫の事始めは、エドワード・ジェンナーです。ジェンナーは18世紀の半ばに生まれたイギリスの開業医でした。当時、ヨーロッバでは定期的に天然痘が流行していて、ジェンナーが牛の天然痘を8歳の少年に接種したことが始まりでした。


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近代免疫学の父とも呼ばれるエドワード・ジェンナー。Wikipediaより
 
 牛の天然痘以前にも、天然痘の予防法として、人の天然痘の膿疱から抽出した液をそのまま人に接種する方法(人痘接種法)がありました。しかしその方法では、2%の人が重症化して死亡するという危険なものでした。それでも何もしなければ、天然痘は約20%から50%の人が死亡し、治っても伊達政宗の失明や夏目漱石のあばたのように病痕が残りました。さらに高い感染力を持つ危険な病気でしたから、人痘接種法の死亡率が2%であれば、御の字だったのです。
 
 ジェンナーは牛の乳搾りをしていた女の人たちが、天然痘にかからないという伝承を聞いてそれにヒントを得ました。乳搾りをする彼女たちは、牛に接する機会が多く、牛の天然痘に感染していたのです。しかし牛の天然痘は発症しても症状は軽く重症化することもありませんでした。彼女たちは人の天然痘には感染しなかったのです。
 
 ジェンナーは牛の天然痘について、1778年から1796年まで研究を続けました。そして使用人の子ジェームズ・フィップスに牛の天然痘を接種したのです。少年は若干の発熱を訴えましたが、天然痘の症状は現れませんでした。ジェンナーは6週間後にジェームズに人の天然痘を接種しました。ジェンナーの予想通り、ジェームズは天然痘を発症しませんでした。
 
 ジェンナーはこの結果を受けて、『牛痘の原因と効果についての研究』という論文を刊行し、牛の天然痘を使った種痘を広く公開しました。
 
 ジェンナーの牛痘での予防接種は、ヨーロッパに瞬く間に広まりました。当時、ヨーロッパ大陸はナポレオン戦争の只中にありましたが、数年のうちにヨーロッパだけでなく、ロシアやアメリカにも普及しました。

 日本でもゴローニン事件でロシアに拉致されていた中川五郎治という商人の息子がオホーツクでジェンナーの種痘法を学びました。これが、文化9年(1812年)でした。中川五郎治はのちに使者として日本に戻り、文政元年(1818年)に松前藩に仕えます。文政7年(1824年)に蝦夷地で天然痘の流行があり、オホーツクで種痘法を知っていた中川五郎治はこれを実践しました。これが日本での牛痘の嚆矢でした(もっとも中川五郎治がどうやって牛痘を手に入れたのかはわかりません)。中川五郎治が持っていたロシア語の種痘法は、のちに幕府によって翻訳されます。


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中川五郎治。Wikipediaより。
 
 同じ頃、牛痘の知識はシーボルトによって長崎に伝えられました。しかし種痘苗はヨーロッパから長崎に運ぶと長旅で効力を失い、使いものになりませんでした。
 
 嘉永2年(1849年)にドイツ人医師モーニッケが佐賀藩主鍋島閑叟の依頼でインドネシアのバタヴィアが牛痘を取寄せました。それが福井藩の笠原良策の手に渡ります。福井藩の松平春嶽の同母妹が鍋島閑叟の正室でしたから、その関係で両者との情報は密だったに違いありません。適塾の緒方洪庵はそれを知り、笠原良策からその一部を譲り受けました。洪庵の努力によって、牛痘の効果が理解されて行って全国に広まっていきました。

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「緒方洪庵肖像」 1901年(明治34年)五姓田義松画 大阪大学適塾記念センター蔵。Wikipediaより。
 
 ジェンナーが種痘を開発して、たった20年で天然痘の予防接種は極東の島国に到達したのです。天然痘は、紀元前14世紀にエジプトとヒッタイトが戦っていた頃から歴史にその脅威を記しています。長く人類を苦しめてきた天然痘の撲滅はジェンナーから始まったのです。ちなみに、コロンブスがアメリカから持ち帰りヨーロッパに広めた梅毒も20年程度で日本にやってきたと言われています。
 
 しかし、なぜ、牛の天然痘は人の天然痘の予防になるのでしょうか。ジェンナーの発見以来200年以上過ぎていますが、いまだに仕組みはわかってません。天然痘はウイルスです。Wikipediaの「天然痘」のページにはこう書かれています。
 
天然痘は人類史上初めてにして、
唯一根絶に成功した人類に有害な感染症である
 (2020年現在)
 
 ジェンナーが牛の天然痘を予防接種に使用したのは、その仕組みがわかっていたからではありません。プラグマティズム、つまり実用主義でした。
 
理由はよくわからないけれど、効果がある
 
ということです。ジェンナーは「近代免疫学の父」と呼ばれますが、彼は学問をしていたわけではありません。医者として天然痘に苦しむ人々を助けたかっただけでした。
 
 もちろん今となっては、種痘の説明は可能です。牛の天然痘は感染性が弱いけれど、人の体内の免疫システムが抗体を産出し、その抗体が人の天然痘にも作用するからです。本来ならば、牛の天然痘ウイルスの抗体は人の天然痘ウイルスの抗体になりませんが、不思議なことに人の免疫が機能したのです。いわゆる交差免疫といわれるものです。
 
 しかし天然痘の「ウイルス」という生物なのか生物でないのか、自然界の中でどのように意味を持つものなのかもわからないものを予防できたのは、単なる偶然でした。全く効果がなかったかもしれませんし、逆に感染性が高くなった可能性もあります。
 
 もともとジェンナーが使っていた牛の天然痘ワクチンは、牛のものではありませんでした。近年になってゲノムレベルでウイルスが解析できるようになると、ジェンナーの天然痘ワクチンは牛ではなく、馬の天然痘ウイルスであったことが判明しました。つまり馬の天然痘が牛に感染り、そのウイルスを種痘として使っていたのです。なぜ、馬から牛、そして人に感染ったとき、ワクチンとして作用するのか、その理由を的確に説明することは、現代の感染学者にもウイルス学者にもできません。
 
 ウイルスは通常、別の生物に感染することはありません。これを「種の壁」といいます。しかしウイルスは変異するとき、「種の壁」を超えていくようです。そのときにワクチンとして利用できたり、スペイン風邪のインフルエンザウイルスや新型コロナウイルスのようにパンデミックを引き起こすのでしょう。
 
 例えば、インフルエンザウイルスは鳥由来のウイルスですし、エイズウイルスはもともと猿のウイルスです。エボラウイルスはまだ特定はされていませんが、コウモリが自然宿主だろうと言われています。新型コロナウイルスは「SARSコロナウイルス2」とも呼ばれるように、SARSの変種とされており、SARSの宿主はコウモリです。2009年にバンデミックを惹き起こしたインフルエンザは「豚インフルエンザ」と呼ばれていますが、鳥インフルエンザが豚に感染し、それが人に感染したものでした。
 
 とはいえ、いまは「種の壁」を超えて変異する機序は解明されていません。たとえば、ゲノムのこの部分がこのように変異すると、種の壁を超えて感染性が高くなるというような仕組みです。ですから、新型コロナウイルスの感染性が極めて高い理由はまったくわからないのです。
 
 ジェンナーは種痘を行う前は、治療として人の天然痘を接種していました。のちに牛痘が効果があるらしいと考えて、牛痘を行ったわけです。しかしそれは人体実験ではありませんか。現代では不可能です。天然痘ウイルスという生物なのか生物でないのか、自然界の中でどのように意味を持つものなのかもわからないものを予防できたのは、たんなる偶然でしかありませんでした。
 
 コロナウイルスでも、人を使って複数のグループに分けてコロナウイルスの接種実験を行いデータを集めれば、発症の仕組みや予防法はより早く発見できるかもしれません。たとえば、コロナウイルスはネコやイヌにも感染することが知られていますから、ネコのコロナウイルスをイヌに感染させてそれをワクチンとして使うとか、あるいは人に感染したコロナウイルスでも感染性の低い変異株を探してそれを接種するとかです。
 
 新薬の開発では発売前に被験者をグループ分けして、ブラインドテストを行います。それも人体実験といえば人体実験です。しかし新型コロナウイルスを使い、蓋然性の低いテストを行えば、非難囂々です。そんなことは倫理に反すると言われるでしょう。死亡者が増えても、動物実験を重ねて外堀からデータを積み上げていくしか、治療法も予防法も見出せません。我々はジェンナーの幸運の再来を願うしか道はないのかもしれません。ジェンナーにとって、牛痘のワクチンは天然痘を退治するための必然だったのかもしれませんが、人類にとっては、セレンディピティでした



posted by 上高地 仁 at 22:26| Comment(0) | コロナとネアンデルタール人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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